震災後すぐ、移動駄菓子屋をしていたころの写真が出てきました!
なぜ、移動駄菓子屋をしようと思ったのか?は、
こちらのブログで書いた通りです。
明治生まれの祖母に育てられた私は、善い行いをしていれば善い事が起きる。
この祖母の言葉を信じて生きてきました。
それなのに、20年前の阪神淡路大震災で亡くなった方々の事を思うと、あまりにも悔しくて、どうしてこんなにたくさんの方が亡くなら無ければ行けないのか!という悲しみとも絶望とも言えない思いが胸をいっぱいにしました。
大人もこんなに大変なのに、子ども達は今、どうしているんだろう。
子ども達を笑顔にしたい!
被災した子ども達に耐える力を持てるようなことをしてあげたい!と、
移動駄菓子屋を始めたのです。
子ども達の笑顔のために駄菓子を選んだのは、私が子どもの頃、100円玉を握りしめ、
悩んで悩んで選んだ駄菓子を大切に食べる事が唯一、満たされた時間だったから。
自分の経験からです。
震災後20年を経て、いつ起きるかわからない地震に備え、子ども達を守るために
ママ達に子どもの事を守ってもらいたい!という気持ちから、防災お菓子リュック作りを考案しました。
ママが作った防災お菓子リュックは、万が一の時は子どもの非常食としてお腹を満たしてくれます。子ども達はお菓子が大好きです。
何事もなければ、ママと子どもと一緒におやつの時間に食べて、
震災が起こらなかった感謝の気持ちと、生きている喜びを感じて欲しい。
この思いに、賛同くださるママ達と一緒に防災お菓子リュックを作りたい!
なぜ、移動駄菓子屋をしようと思ったのか?は、
こちらのブログで書いた通りです。
明治生まれの祖母に育てられた私は、善い行いをしていれば善い事が起きる。
この祖母の言葉を信じて生きてきました。
それなのに、20年前の阪神淡路大震災で亡くなった方々の事を思うと、あまりにも悔しくて、どうしてこんなにたくさんの方が亡くなら無ければ行けないのか!という悲しみとも絶望とも言えない思いが胸をいっぱいにしました。
大人もこんなに大変なのに、子ども達は今、どうしているんだろう。
子ども達を笑顔にしたい!
被災した子ども達に耐える力を持てるようなことをしてあげたい!と、
移動駄菓子屋を始めたのです。
子ども達の笑顔のために駄菓子を選んだのは、私が子どもの頃、100円玉を握りしめ、
悩んで悩んで選んだ駄菓子を大切に食べる事が唯一、満たされた時間だったから。
自分の経験からです。
震災後20年を経て、いつ起きるかわからない地震に備え、子ども達を守るために
ママ達に子どもの事を守ってもらいたい!という気持ちから、防災お菓子リュック作りを考案しました。
ママが作った防災お菓子リュックは、万が一の時は子どもの非常食としてお腹を満たしてくれます。子ども達はお菓子が大好きです。
何事もなければ、ママと子どもと一緒におやつの時間に食べて、
震災が起こらなかった感謝の気持ちと、生きている喜びを感じて欲しい。
この思いに、賛同くださるママ達と一緒に防災お菓子リュックを作りたい!
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