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震災について

20年前の阪神淡路大震災で私は、それまでの価値観が覆されました。
善い行いをしていれば善いことが起こる。
明治生まれの祖母の口癖は、私の信念でした。
でも阪神淡路大震災では、たくさんの方が亡くなられ、亡くなった状況を知るたびに、この方たちがいったい何をしたから、こんな目にあうんだ。
どうしてこんなに悲しいことが起きなくちゃいけないんだと、
それまでの信念がグラグラと覆されました。
どこにもこの怒りを持って行き場が無く、無力な自分を思い知らされました。

大人も大変なのに、子ども達はどうしているんだろう。
何か私にできる事、あるのでは?と、
軽トラックにお菓子を積んで、移動駄菓子屋を気付けば毎日していました。
子ども達の笑顔が見れたら!と、その思いが私の行動力でした。
厳寒の中、団地や路地で1個10円~の移動駄菓子屋を開いたのは、お菓子を選ぶ子ども達の笑顔がとてもとても可愛くて、その笑顔が私の原動力の源でした。

子ども達の笑顔を見るために駄菓子を選んだのは、幼少時の私の唯一の楽しみが駄菓子屋さんでお菓子を選んで、大切に食べる事だったのです。
100円玉を握りしめ、悩んで悩んで選んだお菓子を食べている時は、両親の居ない寂しさを忘れることが出来ました。この思いがあったから、軽トラでの移動駄菓子屋で子ども達を笑顔にしよう!と思ったんです。
移動駄菓子屋は、怖い思いもしました。「誰のシマで商売しとんや!」と、怖い方々に取り囲まれたこともありました。でもやめずに続けたのは、子どもの笑顔を見たいから。
その思いが20年経った今、再び燃焼しています。

2016年3月  
hahaかふぇ 代表 西谷真弓



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