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新しい門出!

防災お菓子リュックがJRの財団さんから助成頂ける事になりました!

私が幼い頃の寂しさを乗り越える事が出来たお菓子で、子供たちを笑顔に!

40才を過ぎたころから私の生まれてきた意味、使命って何だろう。と、
考える事が多くありました。

人は使命を持って生まれてくる。その使命に気付いたら人生は楽になる。

心が動かされる事、それが使命に近い事、このヒントから、
私が心を動かされるのは、子供たちの幼い命が亡くなった時に
心が痛いという表現しか出来ない状態になり、
子供のママに対しても、何とも言えない感情が胸をいっぱいにしました。
命を奪ったのがママであったとしても、ママも責める気持ちでなく、
心が本当に痛かった。

この事から私は子供の笑顔を守るため、作るため、
子供の後に居るママの笑顔を見るため。これが私の使命!と確信しました。

防災お菓子リュックは、私が子供の頃、笑顔を忘れた子供時代を経験し、
その時にお菓子を食べる事が唯一の慰めだった事、
20年前の阪神大震災後の移動駄菓子屋を無我夢中でやったこと。
私の人生のぜんぶが、防災お菓子リュックに繋がっている。

使命を見つけた私は、この道を全う致します。
防災お菓子リュックでどんな時も子供たちを笑顔に!
ママも笑顔に!そして私も笑顔に。
2016年4月1日 防災お菓子リュックを始動いたします。

贈呈書


ハンドベルくらぶ今年度終了!

hahaかふぇの活動は、
①子どもが華やかになる!
②子どもが体験できる!
③子どもが発表する!
この3つに焦点を当てて活動しています。

先日ハンドベルをほぼ毎週練習してきた子供たちの発表会がありました。
11月~練習を始め、5ヶ月に渡り、異学年の子供たちが一生懸命練習した成果は
垂水区役所で披露いたしました。
練習の時の子供たちの様子を思い出し、涙が出そうになりました。

本番の子供たちは本当に上手に皆で力を合わせて演奏していました。
観客の方々も、一緒に歌ってくれたほど上手でした。

目的に向かって努力し、輝いてキラキラしていた子供たちの姿を見る事が出来、私たちも本当に幸せです。

打ち上げも楽しかった!

子供が保護者だけではない社会の中で色んな体験が出来る事を
これからもやっていきたいと思っています!

二人の母の教え

2016年03月25日
私の実母は46歳で亡くなりました。私は23才でした。
母と暮らしたのはわずか数年。
手を握り看取りました。
最後まで母は、愛する男性を待っていました。
この事で私は、子供を大切に子供を一番に愛そう、と心に決めました。

お姑さんも私だけが看取りました。
夫と舅は、潮の満ち引きの時間を調べ、今行っても何もならないと話し合い決めたとの事、腑に落ちない私は夜中に車を走らせ、結局嫁の私だけがお姑さんを看取りました。
姑は、何も求めず、最期まで自己主張をせず受け入れてくださる人でした。
私なら嫁に看取られるより息子に看取られたい、って思うけれど、
お姑さんはきっと、そうは思わない。
この事から息子も娘も居る私は、母親の無償の愛を教えてもらいました。
子供を愛して、何も見返りなどは求めない、ただ愛するだけ。
深い深い母親の愛を教えて頂きました。

二人の母の最期の教え、心の奥深くにしっかりととどめたいと思います。
そしていつか私も子供たちに。

笑顔の連鎖(#^^#)

2016年03月23日
hahaかふぇの活動は子供たちの笑顔のため。
子供たちの後にいる、ママの笑顔のため。
そしてその光景を見る私たちのため。
笑顔を見るのを嫌がる人っているかな?
悲しい時、笑顔になんかなれないし、そういう雰囲気の中にも居たくない時って、
経験ある人も居るかもしれない。
でも、悲しい時や辛い時は無理やり笑顔にすると、
気持ちが楽になるらしい。
笑顔の効果ってすごい!
今日も子供たちの笑顔を見る私たちが笑顔になれる!
この幸せに感謝です(#^^#)

神戸新聞.jpg

私は一人っ子。その私が3人の子供の母親です。

兄弟ってどんな感じなんだろう?
想像がつかないです。

先日伯母が寝込んだ末、他界した事を知り、子供たちに伝えました。
「お母さんのお母さんは、46歳で亡くなって残された私は寂しい思いをしたけど、
長生きして看病してもらって寝込んだ末に亡くなるより、若いうちに居なくなる方が残された身には、悲しいけど良いのかもね・・・」と伝えた所、
長女が「私らは3人居るから、お母さんの看病も3人で変わり交代で出来るから、長生きしてくれた方が良い」って言ってくれました。

何だか涙が出るほどうれしかった。
兄弟って、良いものですね。

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