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防災お菓子リュックを考案したきっかけ

震災に備えるって、後回しにししてしまう私が居ます。
でもしなければいけないってことはわかってる。
私は楽しい事しかできない性格。
hahaかふぇの活動を7年継続してこれたのは、子ども達の笑顔を見るのが楽しくて、嬉しくて!だから今も継続しています。

hahaかふぇの原動力は子ども達の笑顔!

私の子ども時代に癒されたお菓子で、子ども達を守る防災お菓子リュックを考案しました。
何事もなければ、おやつで美味しく食べる事が出来る非常食。
生きている喜び、震災が無い事に感謝できる防災お菓子リュック。
ママの愛が子ども達を笑顔にできる!


hahaかふぇ 代表 西谷真弓


震災後すぐ、移動駄菓子屋をしていたころの写真が出てきました!

なぜ、移動駄菓子屋をしようと思ったのか?は、
こちらのブログで書いた通りです。
明治生まれの祖母に育てられた私は、善い行いをしていれば善い事が起きる。
この祖母の言葉を信じて生きてきました。
それなのに、20年前の阪神淡路大震災で亡くなった方々の事を思うと、あまりにも悔しくて、どうしてこんなにたくさんの方が亡くなら無ければ行けないのか!という悲しみとも絶望とも言えない思いが胸をいっぱいにしました。

大人もこんなに大変なのに、子ども達は今、どうしているんだろう。

子ども達を笑顔にしたい!
被災した子ども達に耐える力を持てるようなことをしてあげたい!と、
移動駄菓子屋を始めたのです。
子ども達の笑顔のために駄菓子を選んだのは、私が子どもの頃、100円玉を握りしめ、
悩んで悩んで選んだ駄菓子を大切に食べる事が唯一、満たされた時間だったから。
自分の経験からです。

震災後20年を経て、いつ起きるかわからない地震に備え、子ども達を守るために
ママ達に子どもの事を守ってもらいたい!という気持ちから、防災お菓子リュック作りを考案しました。
ママが作った防災お菓子リュックは、万が一の時は子どもの非常食としてお腹を満たしてくれます。子ども達はお菓子が大好きです。
何事もなければ、ママと子どもと一緒におやつの時間に食べて、
震災が起こらなかった感謝の気持ちと、生きている喜びを感じて欲しい。
この思いに、賛同くださるママ達と一緒に防災お菓子リュックを作りたい!

okashi 1

okashi 3  okashi 2

3月11日

2016年03月11日
東日本大震災から5年。
あの日、垂水区に居た私はメンバーと一緒に津波の情報を知りました。
まさか、あんなに大きな津波だとは想像もせず、テレビの画像で家が流され、
一面が海のような光景を、現実のものだという事を理解しがたく呆然と眺めていました。
5年経ったから、20年経ったから、悲しみや辛い事が癒えるわけではない。
でも生きている限りは、生きていかなくては行けない。

大切な人を亡くした時、自分の力で立ち直ら無ければ、誰も何もしてくれない。
甘えん坊だった私が、シッカリと現実を見据えて生きていかなくては、と覚悟したのは20代。母が亡くなったその日から過去を思い出すことをせず、いま現在、そして未来に目を向け生きてきた気がします。
でも過去に目を向け、未来のある子ども達に何か出来る事、まだまだある。
未来ある子ども達のために、経験のある私たちが出来る事をこれからも実践していきたいと思います。

2016年3月11日
hahaかふぇ 代表 西谷真弓

震災について

2016年03月09日
20年前の阪神淡路大震災で私は、それまでの価値観が覆されました。
善い行いをしていれば善いことが起こる。
明治生まれの祖母の口癖は、私の信念でした。
でも阪神淡路大震災では、たくさんの方が亡くなられ、亡くなった状況を知るたびに、この方たちがいったい何をしたから、こんな目にあうんだ。
どうしてこんなに悲しいことが起きなくちゃいけないんだと、
それまでの信念がグラグラと覆されました。
どこにもこの怒りを持って行き場が無く、無力な自分を思い知らされました。

大人も大変なのに、子ども達はどうしているんだろう。
何か私にできる事、あるのでは?と、
軽トラックにお菓子を積んで、移動駄菓子屋を気付けば毎日していました。
子ども達の笑顔が見れたら!と、その思いが私の行動力でした。
厳寒の中、団地や路地で1個10円~の移動駄菓子屋を開いたのは、お菓子を選ぶ子ども達の笑顔がとてもとても可愛くて、その笑顔が私の原動力の源でした。

子ども達の笑顔を見るために駄菓子を選んだのは、幼少時の私の唯一の楽しみが駄菓子屋さんでお菓子を選んで、大切に食べる事だったのです。
100円玉を握りしめ、悩んで悩んで選んだお菓子を食べている時は、両親の居ない寂しさを忘れることが出来ました。この思いがあったから、軽トラでの移動駄菓子屋で子ども達を笑顔にしよう!と思ったんです。
移動駄菓子屋は、怖い思いもしました。「誰のシマで商売しとんや!」と、怖い方々に取り囲まれたこともありました。でもやめずに続けたのは、子どもの笑顔を見たいから。
その思いが20年経った今、再び燃焼しています。

2016年3月  
hahaかふぇ 代表 西谷真弓